スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
line

我、人に媚びず

我、人に媚びず、富貴を望まず。

黒田官兵衛の名言~天下取りに貢献した男の座右の銘~



黒田官兵衛は、織田信長の天下人としての資質をいち早く見抜いて、周辺の豪族たちが毛利方に味方する中、単身で信長のもとへ向います。

信長も黒田官兵衛を認め、刀を授けたと言います。

その後秀吉に仕えますが、秀吉が播磨に侵攻した際、戦いが始まる前に播磨の豪族たちを説得し、播磨を平定します。

「戦わずして勝つ」・・・孫子以来、戦いの最善策といわれる事を、弁舌でやってのけたのです。

兵法の達人といっても過言では無いでしょう。

しかし、毛利の大軍勢を前にして、豪族たちが再び毛利方に寝返ると、責任を感じて単身豪族の城に乗り込み説得しますが、逆に捕らえられて牢屋に幽閉されてしまいます。

帰ってこない官兵衛・・・・

信長は、官兵衛が裏切ったと考えて、官兵衛の息子を殺してしまえと命じます。

しかし秀吉は、信長の命に背いて官兵衛の息子を匿います。

一年後、秀吉は官兵衛の救出に成功し

「命を捨てて城に乗り込む事、忠義の至り、我この恩に如何にして報いるべきか」

と語ったと言います。

官兵衛も、主君の命に背いてまでも、息子を救ってくれた秀吉に忠義を誓ったそうです。


そして、本能寺の変で信長が自刃したとき

号泣し、激しく動揺する秀吉に対し、官兵衛は冷静でした。


「秀吉様、ご運が開けましたな。天下をお取なさいませ」といって、中国大返しの段取りをします。

毛利との和睦、200キロの道のりを先回りして、炊き出しや水などの手配をしたのです。

官兵衛の段取りで、世に言う「中国大返し」は成功し、明智光秀を討ったのです。


秀吉は、官兵衛の能力の高さを評価し、「自分に代わって天下を治めるのは誰か、天下に一人だけふさわしい男がいる、黒田官兵衛だ」といったそうです。

しかし、秀吉は官兵衛に対して、働きに見合うだけの恩賞は与えていません。

官兵衛の能力を高く評価するあまり、脅威も感じていたのだと推測できます。

それでも官兵衛は、秀吉に忠義を尽くし、九州を平定しわずか十二万石を与えられ、豊前に向います。

そして、秀吉の「自分に代わって天下を治めるにふさわしい男は黒田官兵衛ただ一人」という言葉を人づてに聞いて、

「秀吉殿の天下取りため、死力を尽くして戦ったし、苦言も呈したが、功を訴え、恩賞を媚びた事は無い。秀吉殿が、この官兵衛に天下取りの心ありとするならば、もはや我が任は終わった。」

といって、家督を息子に譲り隠居してしまいます。

「我、人に媚びず、富貴を望まず」

天下取りに貢献しながら、天下も恩賞も望まなかった黒田官兵衛の座右の銘です。
line

comment

管理者にだけ表示を許可する

line
line

FC2Ad

line
癒しの名言検索
line
カテゴリー
line
最近の記事
line
広告
line
RSSフィード
line
FC2ブログジャンキー

「アクセス数が全然伸びない…」そんな悩みをブログジャンキーが解決します!

line
リンク
line
フリーエリア
line
sub_line
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。