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戦いは兵が多いか少ないかで決まるものでなく 立花宗茂の名言

戦いは兵が多いか少ないかで決まるものではなく、一つにまとまっているかどうかである。
人数が多いからといって勝利できるものではない。

立花宗茂の名言


西国無双と言われた武将・立花宗茂は、戦いの極意として、数よりもチームワークを重要視していた。

立花宗茂の実父は、高橋紹運。義父は立花道雪。

衰退する大友氏を支えた二人の猛将を父に持つ立花宗茂は、『義』を重んじる男だった。

立花道雪・高橋紹運は、人格、器量ともに秀でた『義』を重んじる男たちで、二人の名声は、当時敵対していた島津、竜造寺の将兵たちにも届いていたようだ。

また、九州だけに留まらず、武田信玄や豊臣秀吉らにも二人の名声は届いていたと言う。

そんな勇猛な二人の父を持つ立花宗茂は、幼少の頃より才能と器量を持ち合わせていた。

「道雪、紹運の時代から、某が老いた今日まで、道に背く行いはした事が無い」
と言うのが、宗茂の自慢だった。

「道雪以来、我らは少人数でたびたび勝利を得てきた。これは兵の和によるものだ。その和の基本は、常日頃心を許しあって懇ろに交わっているからで、この信頼のもと、ただ一言の義であっても身を捨てるのだ。これは大将たる者が心得ておくべきことである」

人徳があり、寛容で穏やかな立花宗茂は、けっして驕る事は無かった。
「成人しても自分の才能に驕ってはならぬ。」という実父・紹運の戒めを破ることはなかったのだ。

義をもって家臣に接していたから、家臣たちは宗茂の役に立つため、惜しみなく働いた。
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死して不朽の見込みあらば 吉田松陰の名言

死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
生きて大業のみこみあらばいつでも生くべし


~吉田松陰の名言~

この言葉は、吉田松陰が高杉晋作にしたためた手紙の一文だと言われています。

「死んだとしても、朽ち果てる事の無い自信があれば死を選んでもいいだろう。
生きている事が大きな仕事につながるなら、どんなことをしても生き延びなさい。」

という意味です。

当時、江戸で獄中にいた松蔭を、高杉晋作ら松下村塾の塾生たちが、命をかけて助け出そうとしていたときに、吉田松陰は晋作にこの手紙を書いたといわれています。
吉田松陰は、安政6年(1859年)10月27日に斬刑に処されます。享年30。

高杉晋作は、吉田松陰のこの言葉に従い、命がけの救出を諦め、生き延びることを選択します。
そして、文久3(1863)年、有名な「奇兵隊」を組織します。
奇兵隊は吉田松陰の「草奔崛起」の考え方を受け継ぎ、志があれば身分に関係なく、誰でも参加できる組織だったようです。
高杉晋作は、生きる事で、奇兵隊を作り新しい時代の礎を築きました。
吉田松陰は、30歳で亡くなりましたが、彼の精神や考え方は、弟子たちに受け継がれ、朽ち果てる事は無かったのです。

「死んで不朽の見込みあらば」の部分は、吉田松陰自身に当てはまり
「生きて大業のみこみあらばいつでも生くべし」の部分は、高杉晋作はじめ、松下村塾の塾生たちに当てはまる。
見事な名言だと思います。
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